素粒子物理学の最近の進展

【物理学科】柿﨑 充

 昨年(2012年)7月5日の新聞各紙の1面を飾った「ヒッグス粒子発見」はみなさんにとって意外な見出しだったに違いない。新聞の1面には政治、経済、国際関係等の国民が気になる事柄が掲載されるのが普通であって、意味不明な科学の用語が並ぶことは極めて稀である。ヒッグス粒子に関する新聞やテレビの解説は難しかったかもしれないが、それでもこの世紀の大発見の重要さは理解して頂けたものと思う。因みに、アメリカのサイエンス誌の選ぶ2012年の科学の10 大ニュースの1位に輝いたのもこのヒッグス粒子の発見であった。今回はヒッグス粒子発見に沸く素粒子物理学の最近の進展について述べたい。

物質と力

 まず始めに、ヒッグス粒子が登場する素粒子物理学とはそもそもどんな学問なのかについて説明したい。素粒子物理学は「ものは究極的には何からできているだろうか?」という子供のような素朴な質問に答えようとして発展してきた研究分野である。みなさんの手元にある鉛筆は何からできているだろうか?答えは芯となる黒鉛と軸となる木である。それでは、黒鉛は、木はそれぞれ何からできているだろうか?このような質問を繰り返していき、最終的に辿り着く最も基本的な材料が素粒子である。つまり、すべてのものは素粒子から作られ、逆に素粒子は他のものからは作られない。何が素粒子かは時代とともに変遷してきた。それは、その時代の技術力の限界による。古代ギリシャの哲学者はすべてのものは火、水、土、空気の四代元素でできていると考えたが、我々はこの答えは間違っていることを知っている。例えば水分子は水素と酸素から成り立っている。すべてのものは突き詰めると水素、酸素などの原子でできていると学校で習ったと答える人は多いことと思う。だがそれは19世紀に素粒子だと思われていたものである。実はすべての原子はプラスの電荷を持った原子核(約10のマイナス14乗メートル)とその周りを回るマイナスの電荷を持った電子からできている。原子核はさらに陽子、中性子(約10のマイナス15乗メートル)が集まってできている。これで終わりではなく陽子、中性子もクォークと呼ばれる粒子でできていることがわかっている。それだけでなく、小柴昌俊先生のチームがカミオカンデ(富山大学から約30km)で捉えたニュートリノという粒子も存在する。現在の理解では素粒子は、陽子、中性子を作るクォークと、電子、ニュートリノなどのレプトンである。クォークは6種類、レプトンも6種類確認されている。

 ここで一つの疑問が湧いてくる。ものが素粒子からできているのなら、どうしてものがバラバラになって素粒子まで壊れてしまわないのか?それは素粒子間に力が働いてものを形作っているからである。日常生活であるいは学校の授業で様々な力が出てきたことと思うが、それらは4つの基本的な力に分類される。リンゴを木から落としたり、惑星を太陽のまわりに公転させたりするのは「重力」、原子を形作ったり、化学反応を起こしたりするのは「電磁気力」、ニュートリノを放出させたり、地熱のもとになるのは「弱い力」、原子核や陽子、中性子を形作るのは「強い力」である。そして重力は重力子、電子気力は光子、弱い力はW,Z粒子、強い力はグルーオンと呼ばれる力の粒子(専門用語でゲージ粒子と呼ばれる)をキャッチボールすることで生じている。

ヒッグス粒子

 物質の材料となる素粒子であるクォークとレプトン、力の元になる素粒子であるゲージ粒子が出揃ったが、これだけで素粒子の理論を作ろうとすると大きな問題に出くわしてしまう。数学的整合性を要求すると素粒子の質量がゼロになってしまうのである。一方で素粒子の質量はゼロでないという実験結果が得られている。この理論と実験の矛盾は、南部陽一郎先生の提唱した「自発的対称性の破れ」とそれを応用したピーター・ヒッグス博士の「ヒッグスメカニズム」によって解決される。素粒子に質量を与えるメカニズムとヒッグス粒子の詳細については兼村晋哉先生の解説記事「素粒子の質量起源、ヒッグス粒子と今年からスタートする探索実験」を参照されたい。要は素粒子の質量の源となる素粒子(ヒッグス粒子)の存在が予言されるのである。

 このクォーク、レプトン、ゲージ粒子、ヒッグス粒子を数学的に矛盾なくかつ最小な形で記述したのが、「標準模型」と呼ばれる現在までで最も成功した物理理論である。特に、ヒッグス粒子の質量を生むという役割は特別なものであり、標準模型の根幹をなすものである。もしヒッグス粒子が存在しなかったとしたら、我々は素粒子の理論を根本から考え直さなければならない。それゆえ、スイス、フランスの国境を跨いだ欧州合同原子核研究所(CERN)に莫大なお金をかけ様々な国から研究者を集めて(日本のグループも参加している)大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を作り、ヒッグス粒子探索を始めたのである(図1)。ヒッグス粒子発見のニュースが大々的に取り上げられた理由がおわかり頂けたかと思う。

図1
図1:ヒッグス粒子の2つの光子への崩壊を捉えたと思われるイベント。
黄色の破線とそれにつながる緑色の太線が光子を表す。
出典:http://cds.cern.ch

ニュートリノ

 冒頭に紹介したサイエンス誌の2012年の科学10 大ニュースにはもう一つ素粒子物理学における発見がランクインしている。それは「最後のニュートリノ振動」である。上で少し話に出したニュートリノだが、「電子型」「ミュー型」「タウ型」の3種類存在する。ニュートリノ振動現象とは、ある種のニュートリノが飛行中に他の種類のニュートリノに変身するという現象である。この変身はニュートリノに質量があるときにしか起こらない。一方で標準模型においては、ヒッグス粒子でもニュートリノに質量を与えることはできない。1998年のスーパーカミオカンデによる最初のニュートリノ振動現象の発見は、標準模型を超えた新しい物理理論があることを示す極めて大きな成果であった。ニュートリノが3種類あるのでニュートリノ振動にも3パターンある。最後に残っていた電子型ータウ型間の振動については2011年、日本のT2K実験によりゼロでないことが示唆されていたが、昨年(2012年)中国のDayaBay実験によりゼロでないことが確定的になった。電子型ータウ型間の振動は、物質と反物質での物理法則の違いに関係しており、その発見は反物質がこの宇宙から消えた謎に迫る重要な成果である。

 猶、2011年にはニュートリノが光速より速いという実験結果が報告されたが、再実験の結果、昨年(2012年)撤回されている。

暗黒物質・暗黒エネルギー

 すべてのものは素粒子からできていると述べた。身の周りのものから太陽系の星までは知られている標準模型の素粒子でできているとして矛盾はない。しかし、宇宙は何からできているか?という問いに対しては驚くべき実験結果が出ている。標準模型の素粒子からできる通常の物質は宇宙のエネルギーのたった5パーセント程度しか担っておらず、約4分の1は暗黒物質と呼ばれる未知のもので、残りの7割は暗黒エネルギーと呼ばれるものですらない何かで占められていることがわかったのだ。このエネルギー組成に関してはWMAPのグループが10年に渡り結果を逐次報告し続けてきたが、今年になりPlanck実験も最初の報告をし、ほぼ同様の結果となっている(図2)。暗黒物質とその検出については松本重貴先生の「宇宙暗黒物質と宇宙線観測」を参照されたい。このように、宇宙観測からも標準模型を超えた新しい素粒子の理論が必要とされている。

図2
図2:Placnk実験前後での宇宙のエネルギー組成の結果。
黄色は通常の物質、青色は暗黒物質、紫色は暗黒エネルギーを表わす。
出典:http://spaceinimages.esa.int

国際リニアコライダー計画

新物理理論の構築にはヒッグス粒子や標準模型にない新粒子の発見だけでなく、発見された粒子の性質を精密に調べる必要がある。これを目的として国際リニアコライダー(ILC)(http://aaa-sentan.org/ILC/)が計画されている。しかも、この実験施設は日本にできる可能性が高いことも特筆すべきことである。素粒子物理学者は将来のILC実験の結果から、ヒッグス粒子や暗黒物質などの素粒子、宇宙の謎にさらに迫っていくことを目指している。

 富山大学理論物理学研究室では今回紹介した内容に関連する研究を行っている。みなさんも社会問題に加え、素粒子、宇宙の問題についても興味を持って頂ければ幸いである。

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