原子のレーザー冷却
【第6回(2012年)日本物理学会若手奨励賞受賞の研究】

【物理学科】榎本 勝成

 温度というものはどこまで低くできるのでしょうか。温度の下限は絶対零度(0 K(ケルビン))であり、これは摂氏温度で表すと-273.15 ℃になります。これより下に温度を下げることはできません。では、人間はどこまで絶対零度に近い状況を実現できるのでしょうか。興味深いことに、レーザー光を用いる手法によって、10万個程度の微量で希薄な原子のガスについて、絶対零度に極めて近い温度に到達することができます。この手法はレーザー冷却法と呼ばれ、1997年と2001年にこの手法に関連した研究にノーベル賞が贈られています。

 原子はある特定の波長の光を吸収し、そしてすぐ光を放出します。この光の吸収と放出により、原子は光の反跳による力を受けます。超高真空の容器の中にある微量の原子のガスに対し、レーザー光と磁場を駆使することで、原子は真空中のある一点に向かう力を受け続け、徐々に運動エネルギーを失っていき、最終的に真空中において極低温のガスとしてトラップされます。この段階で原子ガスの温度は0.1 mK(=0.0001 K)程度になります。なお、この冷却過程の一つに、原子が光によって作られるポテンシャルの山を登り、山の頂上付近に来ると原子の内部状態が変わって、そこがポテンシャルの谷底に変わってしまい、原子はずっと山を登り続けて運動エネルギーを失っていく、というものもあります。これには、ゼウスの怒りに触れたシシュフォスという王が、地獄で大石を山頂まで運ばされるという罰を受け、その大石は山頂に届く直前でふもとまで転げ落ちて行ってしまうというギリシャ神話の一節にちなんで、「シシュフォス冷却」というエレガントな名前付けがされています。

図
図1:光トラップの光学系

 このような運動エネルギーの小さい、極低温の原子ガスは、磁場やレーザー光がつくるポテンシャルによって閉じ込められます。この閉じ込めポテンシャルを徐々に弱くしていくと、原子ガスのうち、高いエネルギーを持ったものを選択的にトラップから逃がすことができます。これにより、カップ内のホットコーヒーから熱い蒸気が逃げていき、残ったコーヒーが冷めていくのと同じように、原子ガスの温度は下がっていきます。この「蒸発冷却」の過程により、最終的には数nK (1 nK = 0.000000001 K)もの超極低温の原子ガスを得ることができます。この原子ガスは希薄であるため、原子3個が同時に衝突するということがほとんど起きないため、凝集せずにガスのまま存在することができるのです。

 このような極低温の世界ではどのようなことが起こるでしょうか。低温における重要な物理現象として、2.17 K以下の液体ヘリウムにおいて粘性がなくなる超流動現象や、ある種の物質についてある温度以下で電気抵抗がなくなる超伝導現象がありますが、これらと類似の現象(ボース・アインシュタイン凝縮、BCS超流動)が極低温の希薄原子ガスについても起こります。希薄原子ガスの系は固体サンプル等と比べて、不純物が全くなく、優れた操作性・可視性も持っています。また、シンプルな系であるため、理論との比較も容易です。このため物性物理学における様々な概念や本質を、抽出して観測するのに非常に適しています。

図
図2:原子ガスの光吸収画像

 日本においては特に、アルカリ土類様原子(イッテルビウム(Yb)、ストロンチウム(Sr)、カルシウム(Ca)など)のレーザー冷却の研究が発展しています。これらの原子はその電子配置から、光学的な精密測定に適しており、物性物理学研究への応用以外にも、次世代の原子時計の候補として有力視されています。筆者らはその中で、極低温Yb原子における原子間相互作用を分光学的手法で決定しました[1]。これにより、極低温Yb原子ガスの物性の定量的評価が可能になりました。また、その相互作用について、さらに光を用いて変化させる研究も行ってきました[2]。レーザー冷却法による極低温原子ガスの研究は、まだまだ発展途上であり、今後も急速な進展が期待できます。

【参考文献】

  1. M. Kitagawa et al., Phys. Rev. A 77, 012719 (2008)
  2. K. Enomoto et al., Phys. Rev. Lett. 101, 203201 (2008)

TOP