ジョン・ナッシュ

【数学科4年】大山知宏

2015年5月23日,最も著名な数学者の一人であるジョン・ナッシュが逝去され大きなニュースになりました. 今回のトピックスではナッシュという数学者について,私が学んでいるゲーム理論の観点から簡単に紹介したいと思います.

J. ナッシュ
J. ナッシュ
J. フォン・ノイマン
J. フォン・ノイマン
O. モルゲンシュテルン
O. モルゲンシュテルン

ナッシュは1928年6月13日,アメリカ合衆国ウェストヴァージニア州ブルーフィールドに生まれました. エンジニアの父の影響もあって,カーネギー工科大学では化学を専攻していましたが,教員の薦めによって数学を専攻することになります. 1948年プリンストン大学の大学院へ進学する際,ナッシュの指導教員であったリチャード・ダフィンがプリンストン大学に送った推薦状には「He is a mathematical genius.」とだけ書かれていたそうです. 進学先のプリンストン大学では当時,ボードゲームが盛んに遊ばれていたようで,ナッシュもその中の一人でした. そして,のちにHEXと呼ばれるようになるゲームを考案し注目を集めました. (今年のサイエンスフェスティバルでHEXを紹介したところ,来場者の方に好評でしたので遊び方のpdfファイルを添付しておきます:
ボードゲームHEX.pdf PDF 390KB).

ボードゲーム HEX
ボードゲーム HEX

1950年,ナッシュは論文『非協力ゲーム』によって博士号を取得します. この論文を紹介する上で,ゲーム理論の歴史的背景と理論の確立に関わる二人の人物は欠かせません. ゲーム理論とは,複数の行動主体が相互に影響しあう状況下での意思決定を研究する理論ですが, その始まりは1928年のフォン・ノイマンによる論文『社会的ゲームの理論』であったと言えます. この論文で,ノイマンは利害が完全に対立している2人ゲーム(2人ゼロ和ゲーム)において, プレイヤーの各行動に対して予想される最小の利得を最大にする行動が合理的であることを証明しました. これをミニマックス定理といいます. 一見,悲観的に思える行動ですが,私たちは物事を考える際に「どんなに悪くてもこれより酷いことはないだろう」 などと考えることはよくあることだと思います.

この論文は当時多くの研究者に影響を与えました. ウィーン大学の経済学者オスカー・モルゲンシュテルンも強く影響を受けた一人で実際, 1938年ナチスによって亡命を強いられて,ノイマンのいるプリンストン大学に籍を移しています. 異動後のモルゲンシュテルンは,あるときゲーム理論に関する論文の草稿をノイマンにみせたところ, ノイマンから共同で書くことを提案され,それをきっかけに二人の共同研究が始まります. そしてその成果として,1944年1月18日に『ゲームの理論と経済行動 』が書籍として出版されました. これは650ページに及ぶ大著です. この書では,多くのページが今日言うところの協力ゲームの理論展開に割かれています. 2人非ゼロ和や3人以上のゲームでは,2人ゼロ和ゲームとは異なり,プレイヤーは他のプレイヤーと協力することで利得を増加できます. このようなゲームに対して,ノイマンとモルゲンシュテルンは提携形成と利得分配について分析しています.

ナッシュの非協力ゲーム理論はノイマンとモルゲンシュテルンの理論が契機となり,二人の書が出版されてから6年後に誕生しました. 非協力ゲームについて,ノイマンとモルゲンシュテルンは2人ゼロ和ゲームについて言及していたのに対し, ナッシュはより一般のゲームに対して現在ナッシュ均衡と呼ばれている解概念を定義しました. ナッシュ均衡とは他のプレイヤーの行動を所与として,自分だけが行動を変更しても利得が増加しない行動の組をいいます. ナッシュはプレイヤーと行動の選択肢が有限のゲームにおいて少なくとも一つナッシュ均衡が存在することを証明しました. 2人ゼロ和ゲームの場合,ナッシュ均衡は先ほど述べた合理的な行動の組と一致します.

ナッシュはプリンストン大学を卒業した後,カリフォルニア州サンタモニカにあるランド研究所でゲーム理論などを研究しました. その後,マサチューセッツ工科大学に勤務していましたが1959年に統合失調症を発症し、長い闘病生活を送ることになります. 若い時から突出した才能をみせて周囲から大きな注目集め,期待されていましたが31歳という若さで統合失調症を患い, 才能を生かすことが困難となってしまったために失望も大きかったことと思いますが,それも天才がゆえの宿命だったのかもしれません.

ノイマンとモルゲンシュテルンの大著が出版されてからちょうど50年後の1994年, これはナッシュがゲーム理論に関する論文を発表してから40年以上になりますが, ジョン・ハーサニ,ラインハルト・ゼルテンとともにナッシュはノーベル経済学賞を受賞しました. 長い闘病生活を乗り越えて,受賞にまで至ったことに私は大きな感銘を受けます. しかし,ナッシュ自身はゲーム理論に関する業績は特別注目に値するものではないと述べています.

そして今年,2015年の5月にはルイス・ニーレンバーグとともに非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用の顕著で独創的な貢献によって, ナッシュはアーベル賞を受賞しました.もしかしたら,ナッシュにとってこの賞の方がノーベル経済学賞よりも大きな名誉であったのかもしれません. それはナッシュがゲーム理論よりも微分幾何における自身の研究成果の方に誇りをもっていたように思えるからです. その喜ばしい栄誉の中,大変不幸なことに5月23日アーベル賞授賞式後の帰路のタクシーが事故を起こし, 一緒に乗っていた妻のアリシアとともに急逝されました. ナッシュは86歳,アリシアは82歳でした.

ゲーム理論は経済学,社会学など多岐にわたる分野に応用されています. ここ40年では,生物学者メイナード・スミスによって生物学に応用され、進化ゲーム理論と呼ばれるゲーム理論の一分野として確立し, 盛んに研究されています. その基礎を数学的に厳密に構築したのが,ノイマンやモルゲンシュテルン,そしてナッシュなのです.

原稿を作成するにあたり,[ナサー], [鈴木1], [鈴木2]を参考にしました. ナッシュについて詳しく知りたい方は[ナサー]をおすすめします. また,[クーン]にはナッシュの論文がまとめられているので見てみるのもいいかもしれません. 最後に,ナッシュ,ノイマン,モルゲンシュテルンの絵を描いてくださった数学科3年生の音 美乃里さん, 原稿を読んで有益なコメントをくださった私と同じゼミの今村拓万君と髙尾瑞季さんに感謝いたします.

【文献】

  • [ナサー] S.ナサー (2013)『ビューティフル・マインド-天才数学者の絶望と奇跡-』(塩川優訳) 新潮文庫.
  • [鈴木1] 鈴木光男(2014)『ゲーム理論のあゆみ』 有斐閣.
  • [鈴木2] 鈴木光男(1999)『ゲーム理論の世界』 勁草書房.
  • [クーン] H.W.クーン ・ S.ナサー(2005) 『ナッシュは何を見たか -純粋数学とゲーム理論-』(落合卓四郎訳)シュプリンガー・フェアラーク東京.
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