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多細胞生物の体づくりの仕組み
【数理情報学プログラム】佐藤 勝彦
私たちを含むすべての多細胞生物は、一つの受精卵から始まって、細胞分裂を繰り返すことによってその体の形が作られていきます(形態形成)。その時、初期胚は「上皮細胞」という縦長な細胞によって作られた細胞シートによって包まれており(図1)、その上皮細胞シートが「自発的に」伸びたり、折れ曲がったり、移動することによって、私たちの体は作られていきます。

シート状のものが折れ曲がって、複雑な構造を作るという意味では、子供のころに遊んだ折り紙に似ていますが、多細胞生物の体づくりでは細胞シートが「自ら」折れ曲がって複雑な体の構造を作るという点が大きく異なります(図2)。

これまでの研究では、細胞シートがどうやって自ら曲がることができるのか、どうのように自ら伸びたり縮んだりすることができるのかという事は明らかにされていましたが[1,2]、細胞シートの自発的移動は未解決のままでした。私たちの研究グループでは、この問題に数学と物理の視点からアプローチしています。
具体的なイメージを持つために、形態形成の時に細胞がどのように動くのかについての一例を示します[3]。図3(a)ではハエの性器の原器が約12時間かけて一回転することが示されています。この回転は原器を取りまく上皮細胞シートが一方向に動くことによって起こっています。細胞シートの動く様子は図3(b)に示されています。

図3.(a) 上皮細胞シートの移動の例
形態形成の時にハエの性器の原器が一回転する様子。緑色の部分が原器を取り囲む上皮細胞。(素材提供:倉永英里奈博士)

図3.(b) 上皮細胞シートの移動の例
色付きのドットは細胞の位置の変化をわかりやすくするためのもの
この細胞移動のどの辺が不思議かといいますと(i)原器は360度細胞シートで取り囲まれているので、細胞シートには動きに関しての先頭の場所がない。つまり細胞シートの先頭が頑張ってシート全体を引っ張っているという描写は成り立たず、原器を取り囲んでいるシート全体が同時に一方向に動く(ii)通常、細胞が動くときには足場となる基底膜が通常存在するが、ハエの上皮細胞シート移動の際にはこの基底膜がほとんど観測されない。つまり、この移動では細胞は足場もほとんどない状態で一方向に動いている、という点にあります。「細胞は複雑なオブジェクトなので今まで見たことがない何かを使ってそのようなことができるのでは」という解釈もありますが、私たちは細胞がアクトミオシンで作る収縮力のみで、この細胞シートの一方向運動が起こるかもしれないと思い数理モデル(vertex model)を用いて力学的、数学的に検証しました。
結果
結果は次のようになっています:細胞が体軸に対して斜めの方向に最も強い収縮力を持つとすると(chiral polarityとしばしば呼ばれる)、細胞シートはそのシート構造を壊すことなく収縮力のみを用いて一方向に移動することができる(図4)[4]。

図4. 細胞境界に斜めの方向に最も強い収縮力が掛かっていると細胞は配置換えを繰り返しながら一方向に移動できる
この結果は意外なものでした。何故かというと収縮力というのは双方向の力であるので、こっちの細胞が引っ張れば向こうの細胞は引っ張られるのでシート全体としては動けないのではと思われたからです。また、細胞の各点で力が釣り合っているのにも関わらず動くというのも意外なものでした。通常、力の釣り合いというのは通常は物が動かない時の条件であり、各細胞のすべての点で力が釣り合っているのにもかかわらず、細胞が動き続けるのはどういうことなのかと思わせるからです。生きている系では、時々刻々と収縮力の強さを場所・時間によって変化させることができるので、このような不思議な動きが可能となっています。この仕組みを発展させると、ハエの原器での回転で見られた上皮細胞の回転運動や(図5(a))、また細胞がクラスターを保ったまま動く(図5(b))という現象も説明できます[5]。生命現象が数式とつながる一つの例となっています。

図5.(a) 細胞間に掛かる収縮力を用いて細胞シートが一方向に回転する様子(素材提供:平岩徹也博士)

図5. (b)細胞膜に方向依存的な収縮力が掛かっているときの細胞クラスター移動
参考文献
- Nat Rev Mol Cell Biol. 10 445-57 (2009)
- Nature 429, 667-671 (2004)
- Nat Commun. 6, 10074 (2015)
- Phys Rev Lett. 115 188102 (2015)
- Front. Cell Dev. Biol. 11 1126819 (2023)