海洋の深層と気候

【自然環境科学科】小林 英貴

 海洋の深層は、地球の気候状態の決定に大きな役割を果たします。なかなか意識する機会はありませんが、深さ数千メートルの海洋深層でも海水はゆっくりと流れ、1000年の時間スケールで全地球海洋を巡る深層循環が存在します。海洋深層循環は、「ブロッカーのコンベアベルト」として模式的に表されます。それは、北大西洋の高緯度で深層に沈み込んだ海水が南下し、南大洋を経由して太平洋とインド洋の深層に流入して上昇し、再び北大西洋の高緯度に戻る循環です。海水が沈み込む場所は海水の温度と塩分に依存した密度で決まることから、熱塩循環とも呼ばれます。深層循環は熱を輸送し、高緯度と低緯度の間の温度差を小さくします。また、深層循環は熱だけでなく海水中に存在するさまざまな溶存物質の輸送も担います。ここでは、大気中二酸化炭素濃度に影響する海水中の炭素の循環と気候との関係について簡単に紹介します。

 温室効果ガスである二酸化炭素の大気中の濃度は、気候状態の決定に深く関わっています。炭素は地球上でさまざまな形態で存在するため、大気中二酸化炭素濃度は、陸域や海洋、堆積物中の炭素の存在量に影響を受けます。海洋は、大気の約60倍、陸域の15倍もの炭素を蓄える巨大な炭素貯蔵庫です。そのため、海洋の比較的小さな変化であっても、大気中二酸化炭素濃度の大きな変化をもたらす可能性があります。

 大気と海洋は、海面で二酸化炭素を交換しており、大気と海洋との分圧差で二酸化炭素の交換量が決まります。海面における海水の二酸化炭素分圧は場所により異なり、水温に依存する二酸化炭素の溶解度や、生物地球化学的な過程や深層循環により決定される海洋内部の炭素の分布に支配されます。海水に溶けた二酸化炭素は、植物プランクトンによる光合成を経て生物に取り込まれ、生態系の中で形を変えながら、排せつ物や死骸(マリンスノー)の形で海洋深層に沈んでいきます。沈降する有機炭素の多くは、バクテリアにより分解されて溶存無機炭素に形を変え、一部は海底堆積物として除去されます。植物プランクトンの光合成には、二酸化炭素と光だけでなく、生体を構成するために必要な栄養塩と呼ばれるリンや窒素、ケイ素の塩や、鉄などの微量元素が必要です。栄養塩が供給され、植物プランクトンの光合成が起こると、海洋表層の海水の二酸化炭素分圧が低くなり、大気から海洋へと二酸化炭素が吸収されます。このため、大気と海洋との間の炭素の交換量を知るためには、海水中の炭素だけでなく、栄養塩など他の溶存物質の分布も重要です。海洋表層への栄養塩の供給には、河川水や地下水による供給と、海洋深層からの湧昇による供給がありますが、海盆規模では後者がより重要です。そのため、深層循環が栄養塩や炭素などの溶存物質の分布の形成に大きく影響します。一部の海域では、主要栄養塩が豊富に存在するにもかかわらず、植物プランクトンの生物量が比較的少ないことが知られ(HNLC海域)、微量栄養素である鉄の不足がその要因として挙げられています。

 258万年前から現在にかけての第四紀と呼ばれる時代は、寒冷な氷期と温暖な間氷期が交互に繰り返す気候変動(氷期-間氷期サイクル)で特徴づけられ、気候変動に伴い大気中の二酸化炭素濃度も周期的に変動していたことが知られています。大気中二酸化炭素濃度は、約2万年前の現代に最も近い氷期の最盛期である最終氷期最盛期において、間氷期である現代の産業革命前と比べて90ppm程度(1/3程度)も低かったことが、氷床コア記録の分析から明らかにされています。氷期には陸域の炭素貯留は減少していたと推測されるため、海洋により多くの炭素が取り込まれたことで、低い大気中二酸化炭素濃度が実現したと考えられています。先述のように、海洋の炭素循環は、大気と海洋との間の二酸化炭素のガス交換と二酸化炭素の溶解、植物プランクトンの光合成で生成される有機物を介した炭素の表層から深層への輸送(生物ポンプ)、全地球海洋を巡る海洋深層循環、堆積物中の炭酸塩の反応などの過程に支配されています(図1)。間氷期と氷期との間でそれらの過程が変化した結果、氷期にはより多くの炭素が大気から海洋に貯留されたと考えられています。このような炭素循環を含む大気や海洋で生じる自然現象を対象として、現象を支配する方程式を数値的に表現した「数値モデル」を作成し、数値実験を通じてメカニズムの解明が進められてきました(図2)。しかしながら、海洋炭素循環過程を組み込んだ3次元海洋モデルを用いた研究では、海洋炭素循環の変化に伴う氷期の大気中二酸化炭素濃度の低下の振幅を十分に再現することが困難でした。一方、海底堆積物や氷床コアといった地質学的記録を分析することで、過去の海洋環境についての手がかりを得ることができます。最終氷期最盛期において、南大洋の深層水が高い塩分および古い水塊年代で特徴づけられることや、南アメリカ大陸のパタゴニアから南大洋へのダストによる鉄供給の増加が、生物生産性を向上させた可能性が指摘されています。私たちの研究では、既往研究で十分に考慮されていなかった、南大洋における強い塩分成層の強化、(氷河性)ダスト起源の鉄供給の増加、炭酸塩堆積過程を海洋モデルに導入し、氷期モデル実験で古海洋地質記録が示す南大洋の特徴が再現されるかどうかについて、数値実験結果を復元された海水の特性と比較して議論し、プロセスの妥当性を確認しました。また、南大洋の環境変化が、海洋炭素循環の変化を介して大気中二酸化炭素濃度にどの程度影響するのかを調べました。

 はじめに行った最終氷期最盛期の気候条件の下での再現実験(氷期標準実験)では、得られた大気中二酸化炭素濃度の変化は40ppm弱にとどまり、先行研究と同様に、現実的な変化を十分に再現できませんでした(図3; 氷期標準実験)。一方、南大洋における強い塩分成層と氷河性ダストによる鉄供給の増加を考慮すると、海洋深層の炭素貯留が現代実験から顕著に増加することがわかりました。さらに、1万年程度の長い時間スケールをもつ炭酸塩堆積物の埋没量変化に伴うアルカリ度(海洋の酸緩衝能)の上昇を含めると、氷期に海洋炭素循環が変化することでもたらされる大気中二酸化炭素濃度の変化はおよそ77ppmとなり、現実的に氷床コア記録が示す変動(約90ppm)を再現できました(図3; 氷期改良実験)。成層が強くなることで、多くの炭素を貯留する海洋深層から表層への炭素の輸送が減少し、深層に炭素が隔離されました。また、鉄供給の増加で植物プランクトンの生物生産が増えることで、より多くの炭素が表層から深層に輸送されました。さらに、深層の溶存無機炭素濃度が上がると、海底炭酸塩堆積物がより溶けやすくなります。炭酸塩堆積物の溶解と河川からの炭酸塩流入による補償は、海洋炭酸系の均衡を変え、海洋全体のアルカリ度を上昇させました。アルカリ度が上昇すると、海洋はさらに多くの二酸化炭素を吸収できるため、これらの過程が組み合わさることで、大気中二酸化炭素濃度が大きく低下することがわかりました。

 気候変動の中で海洋とその炭素循環がどのように変化し、大気中の二酸化炭素濃度に影響を与えるかを調べることは、過去や将来の気候変動を考える上で重要です。しかしながら、実際にはここで述べたよりも多くの過程が相互に複雑に作用し合っているため、解明されていない現象も多く残ります。数値的な研究と観測的な研究とが連携し、気候変動と炭素循環との関わりについて、その根底にある普遍的な仕組みを解明していくことが重要であると考えています。

【参考文献】

Kobayashi, H., A. Oka, A. Yamamoto, and A. Abe-Ouchi, Glacial carbon cycle changes by Southern Ocean processes with sedimentary amplification, Science Advances, 7, eabg7723, 2021.

図1
図1:海洋炭素循環を形成する過程の模式図。背景の色は、溶存無機炭素濃度の気候値(The Global Ocean Data Analysis Project)。大気と海洋の間では、分圧の差に応じて二酸化炭素が交換されます。生態系を介した生物ポンプは、炭素を海洋表層から深層に輸送します。海洋深層循環は、海盆間の炭素の濃度勾配を形成します。海水中で分解や溶解を経ずに海底に到達した有機物や炭酸カルシウムは、堆積物中での反応を経て一部は埋没除去されます。
図2
図2:海洋モデルの格子配置と計算された海面水温の一例
図3
図3:Kobayashi et al. (2021)で見積もった、現代と氷期との間の大気中二酸化炭素濃度の変化に対する諸過程の寄与。最終氷期最盛期(LGM)の気候下で検討したすべての過程を含む氷期改良実験における変化(橙色)は、氷床コア記録(黄色)をおおよそ再現しています。従来の氷期実験の結果(灰色)と、南大洋の塩分成層の強化(青色)、氷河性ダストによる鉄肥沃化(緑色)、炭酸塩補償(茶色)の寄与を切り分けた結果を同時に示しています。
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