ニホンザルの洞窟利用と化石化過程

【地球科学科】柏木 健司

 洞窟というと、一般的には鍾乳洞を指し、炭酸カルシウムを主成分とする石灰岩中に、非常に長い年月をかけて形成されていきます。その形態は、横方向に伸びる横穴と垂直方向に伸びる縦穴、そしてこれらが複合する縦横複合型洞窟など様々です。また、裂罅(れっか;縦方向に伸びる割れ目)が所々に発達するのも特徴です。そして、縦穴や裂罅は地表に開口することで天然の落とし穴として作用し、その堆積物中にはしばしば多量かつ保存良好な脊椎動物化石(主に哺乳類)が含まれます。洞窟から産する脊椎動物化石は、その古生態のみならず、過去のある時期における哺乳動物相、そして生息当時の古気候を解明する上で、重要な研究対象に位置づけられています。

 私は現在、宇奈月から欅平をつなぐ黒部峡谷鉄道沿いの鐘釣付近の急崖斜面で、鐘釣鍾乳洞群の調査を進めています。主に花崗岩が露出する黒部川沿いにおいて、鐘釣付近はまとまった石灰岩が露出する希な地域です。鐘釣鍾乳洞群は、これまでに確認できているだけで10個強の大小様々な鍾乳洞から構成され、最大規模のサル穴は測線延長約120 mで、比高差約40 mに達する縦横複合型洞窟です。急崖に開口する洞口から約20 mは横穴で、その奥で縦穴に連結しています(図1)。このサル穴は、名前の通り、洞内でのニホンザル化石の発見に由来し、そしてニホンザル化石の産状は実に面白いものでした。縦穴直前や縦穴中の洞床の計6地点で、地点ごとに別個体の化石がまとまって産出したのです(図2)。これは、ニホンザルが洞口から横穴に入っていき、何らかの原因で縦穴に落ち、その場で死んでしまったとしか、説明できない産状でした。通常、地表に連結する縦穴や裂罅中の堆積物中に含まれる哺乳類化石は、狭い範囲に様々な種類かつ多くの個体が混在していることが一般的です。サル穴では、中・大型の哺乳類ではニホンザル化石しか産しないことも、際立つ特徴となっています。

 これらニホンザルの化石化過程(タフォノミー)は、ある偶然から明確な方向性として明らかになりました。すなわち、横穴の洞床に2010年の晩秋には全く無かったニホンザルの糞が、翌2011年の早春に多量に現われたのです(図3)。これらの糞は、雪深い黒部峡谷の厳冬期に、ニホンザルが洞窟に入って寒さをしのいでいたことを間接的に示す、彼らがその場に残した物証となりました。横穴中に残された糞という痕跡から、少なくとも2010年度から2013年度の4年間の冬季にわたり、ニホンザルが洞窟を利用していることを確認しています。さらに、サル穴中のニホンザル化石のタフォノミーは、厳冬期に横穴を防寒で利用していたニホンザルが、誤って縦穴に落ちたことで説明可能となりました。すなわち、ニホンザルは竪穴の約3 m直前の地点まで横穴を利用しており、偶発的に竪穴に落ちることは十分に考えられます。また、ニホンザル化石の炭素14年代測定により、冬季洞窟利用は弥生時代から現在に至り、黒部峡谷のニホンザルに脈々と受け継がれている伝統的な生態であることも分かってきました。

 現在、京都大学霊長類研究所と共同で、ニホンザルの洞窟利用の実態解明と可視化を目指して、洞口と洞内の数箇所に自動センサーカメラを設置し、洞内におけるニホンザルの生態撮影を試みています。ニホンザルは、人間を除くと最北限に生息する霊長類であり、熱帯-亜熱帯地域に起源を持つ霊長類の寒冷北方地域への適応放散を考える上で、ニホンザルによる洞窟利用は防寒戦略として重要です。また、ニホンザルによる洞窟利用は、現時点では黒部峡谷のみで確認されている生態です。急崖が連続し人の侵入を拒む地形に加え、中部山岳国立公園として保全されていることが、ニホンザルが厳冬期に人知れず洞窟を利用する環境の保全につながっています。ニホンザルの伝統的生態が途切れないように、今後もニホンザルと彼らの利用する環境に配慮しつつ、慎重かつ積極的に調査を進めていきたいと思います。

 この研究テーマは、京都大学霊長類研究所の高井正成先生との共同研究です。また、黒部峡谷の鐘釣地域は、中部山岳国立公園に指定されているため、調査に際しては環境省や富山森林管理署などの諸機関から、許可を得て調査研究を進めています。特に黒部峡谷鉄道には、現地での調査において多大な御配慮を頂いています。また、急崖調査に際しての山岳ガイドの方々のサポートは、調査を安全に進める上で必要不可欠であり、さらには本研究を円滑に進める原動力に一つとなっています。本研究を進めるに当たりご協力を頂いている先生方と諸機関、山岳ガイドの皆さんに、ここに記して深く御礼申し上げます。

図1
図1 サル穴の測量図面(展開縦断面図・レベルⅠの平面図)とレベルⅠでのニホンザルの糞の分布(2011年6月観察・作成)。洞窟調査は、先ずは測量図面を作るところから始まり、実はこの段階で多くの時間と労力を要します。
図2
図2 洞床のニホンザル化石。レベルⅢの洞床。
図3
図3 ニホンザルの糞の産状。横穴最奥付近。胡桃(くるみ)大のニホンザルの糞が密集しています。冬季、数頭のニホンザルが集まってサル団子を作り、暖を取っていた様子が見てとれます。
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