インドネシア共和国カリマンタン島の泥炭火災2009

【生物圏環境科学科】倉光 英樹

 腐植物質とは、植物遺骸などに由来する有機物が微生物作用などによる分解と合成を繰り返しながら、重縮合することによって生成される天然の高分子有機酸です。腐植物質は土壌中だけでなく、河川や湖沼、海洋などの水中にも溶存有機物質の主要な成分として存在しており、地球で最も多量に存在している天然の有機物質です。従って、環境における腐植物質の役割は実に多様で重要です。例えば、土壌の肥沃化や植物への養分供給に深く関与していますし、農薬などの溶解性・移行性・毒性も腐植物質との相互作用により大きく変化することが知られています。また、地上で最も埋蔵量の多い有機炭素ですから、当然、CO2の固定源として地球温暖化にも深く関与しています。

 このような腐植物質は泥炭地に特に多く存在しています。泥炭地は地球上の陸地の約3%にしか過ぎませんが、このわずかな面積の大地がCO2の固定源として重要な役割を果たしているのです。インドネシア共和国は世界でも有数の泥炭湿地を有しており、その炭素埋蔵量はCO2換算で1,950億トンです。日本の年間排出量が13億7千万トン(2007年)ですから、140年分の排出量に相当する炭素が保存されていることになります。しかしながら、2008年のギネスブックにはインドネシアが世界で一番森林消失の早い国として掲載されています。その大きな理由の一つが毎年乾季に発生する火災です。1997年にエルニーニョが起きた際には、極度の乾燥のために泥炭を中心とする火災が頻発しました。このとき、インドネシア全体から大気に放出された炭素は30-94億トンと推定されており、ハワイのマウナロア山頂で計測している大気二酸化炭素の上昇速度が通常年の約2倍を記録しています。

 このように大規模な火災が毎年発生する原因として考えられているのが、異常気象による雨季の遅延と泥炭湿地の乾燥化です。インドネシアでは古くから焼畑が行われており、乾季から雨季の移行期に森を燃やします。異常気象による雨季の遅延は森に放たれた火を人の手には負えないものにします。泥炭湿地の乾燥化の大きな理由として挙げられているのが、1995年から開始されたインドネシア政府による熱帯泥炭湿地林の広大な土地の農地開拓計画、メガライスプロジェクトの失敗です。泥炭体積の4分の3以上を満たす水の排水工事が、1,500,000 haの土地を対象に行われましたが、排水後、泥炭土壌の分解が促進され、地下で蓄積されていた酸性土壌が出現し、結果として農耕不適地となった土地は放置され、荒廃しました。1999年にプロジェクトは中途で終了し、4500 kmにおよぶ長大な水路が放置される結果となっています。この水路が地下水水位の低下と泥炭湿地の乾燥化に強く結び付けられています。その対策として、現地パランカラヤ大学の研究者が中心となり関(写真1)の設置を行っていますが、主に資金的な問題からその数は17か所に留まっています(4500 kmの17箇所!)。

図1
写真1.メガライスプロジェクトの頓挫により放置された水路に設置した関

 泥炭火災の特徴は単に森林が消失するだけでなく、これまで森林によって長い年月をかけて蓄積されてきた土壌有機物質が燃焼、そして鎮火後に微生物による分解を受けることです。これを冷たい燃焼と呼びます。本来水分が豊富な泥炭が乾燥することにより、微生物が繁殖しやすい状態となるため冷たい燃焼が加速されるのです。インドネシアにおける泥炭火災は、天災ではなく人災です。今年9月、インドネシア政府自身が初めて泥炭からの炭素放出が膨大な量であることを認めましたが、なぜか、IPCCでは泥炭火災と冷たい燃焼をまったく考慮してはいません。今年の森林火災も大規模なものでした(写真2)。
どのような科学的根拠をつかめば、人々の関心を引くことができるのでしょうか。自然相手の科学は難しいものです。

図2
写真2.衛星テラからの映像(今年9月)。赤い部分が火災の発生している地域。
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