異文化に触れる大切さ

【化学科】樋口 弘行

 私の専門は,有機分子に光や電場や酸などの外部刺激を与えて応答させ,それに伴う構造変化に連動して誘起されるさまざまなスペクトル変化を利用して,分子に仕事をさせる『有機機能性材料化学』という研究分野である。自然科学の根幹である構造物性相関に関する地道な成果に基づき,外部刺激を加えることにより,1)可逆的に変色する分子,2)吸熱・発熱する分子,3)未知分子の立体構造を識別する分子,4)(一般的には絶縁体である)有機分子に電流を流す分子設計等に関する基礎研究を展開している。一足飛びではないであろうが,自然環境の保全を念頭に置きながら,より快適な社会生活様式に変えて行く支援材料の創出を目指している。

 と言っても,決して,筆者一人がこのような志向性をもって研究を展開しているのではない。エネルギー問題・食料問題・環境問題・医療問題等,これらの課題解決に少しでも貢献したいという研究者が,また同じようなアイデアや目標に向かって取り組んでいる研究者が世界中には大勢いる。よって,必ず,研究にはオリジナリティー(独創性)とパーソナリティー(独自性)が必要になる。同じ手法や同じ構造体を用いて研究する限りは,詰まる所,同じ一つの結果や結論しか出て来ない。研究にもアイデンティティー(主体性)が求められる時代なのである。その分子構造を見れば,その研究者の顔が直ちに浮かんで来るくらいに,研究には上述の両要素が必須と言っても過言ではない。

 大学という研究機関に身を置く教員にとって,知識や技術を磨くために毎日毎日同じ実験室,同じ仲間,同じ環境内で過ごしていると,ともすると,それ自体が全世界的視野になってしまって複眼的見方や異文化に疎くなる場合が少なくない。自分の関心事だけを手に入れることが可能になってしまった情報ネットワーク社会の盲点とは言えまいか。このことが全ての動機ではないにしても,折に触れて他国に出掛け他国の研究者との交流を直に図ることは,自身の考えや意見を自身で客観的に評価し,ひいては研究の本質を活性化させるのに極めて有効である。勿論,逆に,海外から多くの研究者を招いて意見交換することも非常に大切である。そのような機会をできるだけ多く積極的につくり続ける姿勢,これも研究者に求められる重要な資質なのである。

 たとえば,7月下旬から8月,9月の丸々2ヶ月間程は,日本も欧米もほとんどの大学で講義は無く,教授達や研究者を目指す学生達はたっぷりと時間を取ることができるので,先方とうまく調整すれば世界を自由に行き来して交流を深め視野を広める良い機会となる。欧米の学生達は,この時期を利用して両大陸を相互によく行き来している。また,この期間には世界のあちらこちらで国際学会が開催されるので,研究成果を発表するために参加する傍ら当地の生活文化や歴史遺産に触れるのも,大いなる研究の活性化に繋がると確信する。コミュニケーションツールは多くの場合が英語であるので,我々も自然に物事を英語で考え表現するようになり,これが脳に常日頃とは異なる刺激を与え,発想の転換や思考の広がりにも繋がって行くと思うが,如何であろうか。

 研究の活性化のための工夫は,実は,研究者によって十人十色かも知れないが,今や,便を選べば,日本を発ってその日の明るい内に他国に降り立つことが可能な時代である。隣街を訪ねるような気軽な動機でも良い。日常とは異なる他国の生活環境を目から耳から感じ取る経験が,次のステップへの大きな後押しになることは間違い無い。異文化に触れることは,研究に限らず,少しでも若い内に経験する方が良いように思う。筆者自身,昨冬にハワイ(アメリカ,写真1)で開催された国際学会に参加し,今夏にチューリッヒ(スイス)の科学技術大学(ETH: エーテーハー,写真2)を訪問し,異国の空気を吸い,多くの研究者達と交流を深め多くの異文化に触れて来た。勿論,主目的は研究成果の発表と様々なアイデアの吸収であるが,それに伴う異文化交流や歴史探訪をしながら,自身の立ち位置を認識する好機であった。有機分子に刺激を与えて合目的な仕事をさせる研究を続けて来ている中で,今再び,異文化という大きな刺激を受け,研究者である自分自身の活性化を図ろうとしている。

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写真1 熱気溢れるポスター発表会場前
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写真2 ETH の重厚な玄関前広場
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