昆虫の羽化時計

【生物学科】菊川 茂

 多くの生物にはサーカディアンリズムと呼ばれる概日性の生理・生態現象が知られている。それは、例えば、歩行活動であったり摂食行動だったり交尾行動だったりと多岐にわたる。生物は一日の時刻を知っているのだ。我々はノシメコクガという蛾の羽化リズムを調べている。まず、孵化した幼虫を25℃で色々な光周期に曝し、観察した。幼虫は26〜33日に羽化した。羽化時刻の平均値は日暮れ後15〜19時間目に現れた(図1)。よって日暮れから始動する時計(測時系)が存在するようだ。12時間明期12時間暗期に曝した後、27日目に暗期を12時間延長させて、明暗周期を時間的に逆転させると、明期にあった羽化ピークは暗期に移行した。同様に12時間明期12時間暗期の明期を12時間延長しても羽化時刻は暗期中にあり、その後不明瞭となった。羽化ピークの位相調節、つまり新しい明暗条件を読み取るためには、数サイクルの明暗条件が必要なようである。外界が明るければ単純に羽化するのではなく、内因性の時計が介在しているのだ。光周期を与えた後、時刻信号のない25℃全暗・全明に維持すると、羽化は周期的に起こり(自律進行し)、その周期長はそれぞれ24.0と22.1時間であった。周期長が全暗・全明で異なることは他の生物でも広く知られている。

 この種は温度周期下でも羽化リズムを示す。全明・全暗下で30℃高温20℃低温から成る温度周期は時刻信号となる。色々な温度周期で羽化ピークは高温相(30℃)の中央付近に現れた。高温相の中央を認識するには温度上昇時刻と温度下降時刻の両方の時刻信号を周期的に変動する環境から読み取っている必要がある。13日間温度周期を与えた後、25℃一定に静置すると羽化リズムは全明では23.4時間周期で、全暗では22.3時間周期で自律進行した。よって、温度周期からも時刻信号を受け取っているのである。

 次に、12時間明期12時間暗期と12時間高温(30℃)12時間低温(20℃)を同時に与えてみた。そして与える時刻をずらした(すなわち位相関係をずらした)。羽化ピークは明暗周期と温度周期とのどの位相関係でも高温相中に認められた(図2)。環境刺激に反応したフェーズジャンプは観察されなかった。

 よって、この種では、一日の温度の変化の方が重要なのだ。他の、孵化とか脱皮・蛹化などでもリズムを示すかどうかは、まだ不明である。興味は尽きない。

図1
図1. 25℃明暗周期下での羽化ピーク
縦軸は明期(Photophase)の長さ、時間0は全暗で、時間24は全明を示す。横軸は羽化ピークの時刻を示す。図中には、点灯(Light-on)と消灯(Light-off)の時間関係が記されている。○は休眠を阻止するために発育初期に30℃全明に曝し、その後25℃に維持された個体群の平均羽化時刻。●は休眠を阻止するために発育初期に30℃全暗に曝し、その後25℃に維持された個体群の平均羽化時刻。赤線は色々な明暗周期下で観察された羽化ピークから求めた回帰直線(統計的に有意)。消灯時刻とほぼ平行関係にあり、日暮れからの時間の読み取りが推察される。
図1
図2. 光周期と温度周期下での羽化ピーク
縦軸は光周期(12時間明期12時間暗期(12L12D))と温度周期(12時間30℃12時間20℃)との位相関係(Phase difference)を時間で示している。横軸は羽化ピークの時刻を示す。図中のオレンジ色は30℃、青色は20℃を示す。○と●は繰り返し実験の結果(それぞれ約100個体)で、羽化の平均時刻を示す。回帰直線は統計的に有意で、明暗周期にかかわらず高温相に認められる。
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