青色半導体レーザーを用いた高分解能分子分光

【物理学プログラム】榎本 勝成

 ある分子のエネルギー準位構造を調べるには、その分子が吸収・放出する光のスペクトルを調べるのが良い。それが分光(spectroscopy)と呼ばれる手法であり、特に分子が気体である場合、周囲の媒質の影響を受けていない、その分子の本来の性質を調べることができる。さらに真空下であれば、分子間の衝突の影響さえも無くすことができ、個々のスペクトル線は細く鋭くなる。そうした高分解能なスペクトルを観測し、解析することで、分子の性質を精密に調べることができる。
 赤外・可視の波長領域において吸収スペクトルを調べる装置として、広い波長範囲を高速に調べることができるフーリエ変換分光計や光周波数コムなどの優れた装置が開発されている。しかしながら、微弱なスペクトル線を調べるには、分子に単一周波数のレーザーを照射し、その周波数を掃引していって、各周波数での分子の応答(吸収や、それに伴う蛍光の放出)を見るオーソドックスなレーザー分光法が良い。
 波長が400~500 nmの青色の領域でレーザー分光を行おうとすると、従来ではチタンサファイアレーザーの2倍波を利用するという、高価なレーザーシステムが必要であった。しかしながら、今では青色の領域の様々な波長で発振する半導体レーザー素子が市販されており、それらを買い集めていけば、青色領域全体をほぼカバーすることができる。
 半導体レーザーの周波数を安定化させるには、回折格子を利用した外部共振器を作成すると良い。図1はリットロー型と呼ばれる配置で、半導体レーザー素子から出た光が回折格子に当たり、その回折光がレーザー素子に戻るようになっており、戻った光はレーザー素子内での誘導放出を増強する。回折の角度は光の波長に依存するので、回折光がちょうどレーザー素子に戻るような波長の光で、レーザー発振が起こることになる。この回折格子の角度をピエゾ素子などで少しずつ変化させることで、安定化されたレーザー周波数を連続的に掃引することができる。このとき、レーザー素子に流す電流も同時に変化させるのがミソで、それにより連続掃引の範囲を大幅に広げることができる。
 レーザー分光を行う際に重要となる要素は、レーザー光の周波数の測定である。数MHzの精度でレーザー周波数を測定できる優れた波長計も市販されているが、高価である。我々はレーザー周波数の決定のために、超低膨張素材でできたエタロン(光共振器)を用いている(図2)。エタロンは向かい合う2枚の鏡で構成されており、2枚の鏡の間隔が光の波長の半分の整数倍になるという共鳴条件が満たされると、鏡の間で光の定在波が生じることができる。その結果、共鳴条件を満たす光は高い透過率でエタロンを通過することができる。室温に近いある温度で熱膨張係数が0になる素材を、2枚の鏡の間のスペーサーに用い、エタロン全体を真空中に置いてその温度に安定化してやると、非常に安定な共鳴周波数を持つエタロンになる。この超低膨張エタロンを光の周波数の物差しとして利用し、数百MHzの測定精度の波長計と組み合わせることで、数MHz程度の精度でのレーザー分光が可能になる。

図

 これらのレーザー分光システムを利用して、我々は一酸化鉛(PbO)分子の分光を行っている(図3)。PbOは電子の永久電気双極子モーメントの測定という、高エネルギー物理学に関わる精密測定の対象として有望視されている分子である。青色領域の高分解能分光により、我々はこれまでに5000本以上のスペクトル線を観測し、各電子状態のポテンシャル曲線や、状態間の相互作用を調べている。その中で特に大きな成果として、新たな電子状態の同定が挙げられる[1]。我々はスペクトル線から未同定の系列を発見し、その系列に対応する電子状態をc1状態と命名した(図4)。この状態は電子基底状態からの遷移が禁制ではない電子励起状態( Ω=0+,1 の状態)の状態の中では、下から2番目の状態であり、量子化学計算では存在が予測されていたものの、これまでに観測が報告された例はなかった。PbOの分光の歴史は100年以上もあり、70年程前にはΩ=0+,1 の低い電子励起状態は概ねわかっており、一番最近の発見例でも50年程前のa1状態(下から1番目の状態)である。こうした長い歴史の中での、新たな電子状態の発見というのは、研究者として感慨深いものがある。

図1
図
参考文献
  1. K. Enomoto et al., “Newly observed low-lying Ω = 1 state of PbO”, J. Chem. Phys. 160, 134306 (2024)
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