English中文簡体字한국어
トピックス

HOME>トピックス

超分子化学:基礎研究の大切さが叫ばれる今こそ

【化学科】2017年2月

 2016年度のノーベル化学賞が,ソヴァージュ(仏)・ストッダート(英)・フェリンガ(和蘭)の3研究者に授与された。その授賞理由は,『分子マシンの設計と合成への貢献』や『分子でメカニカルな機構を模倣する基礎研究の発展』などと言われている。この研究対象は,同様に1987年にも化学賞1)が授与されたことを契機に活発に展開されて来た「超分子化学」という有機化学の一研究分野であり,約30年の年月を経て,同分野における再来の栄誉ということになる。最近の10年間ほどの有機化学研究の流れを振り返るとき,何につけ応用性を指向する対象に偏りがちな傾向の中に在って,この快挙は筆者にとって雲間から射し込む柔らかな光線を見る思いであった。

 

 ところで,「分子マシン」とか「分子でメカニカルな機構を模倣する基礎研究」とはどのような内容や現象を言うのか,字面から分かるようでも改めて問われると,科学的にきちんと説明するできる人はどれほどいるだろうか。そもそも,分子はそれぞれに固有の構造と性質をもつことは周知である。しかしながら,水分子(H2O)はじめ多くの分子は,生活周辺環境では,分子1個の構造や性質を示しているわけではない。その多くは,分子間に働く多種の弱い相互作用により引き付け合って安定化し,多様な集合体を構築して存在している。水分子の場合,相互作用の本質は水素結合(H2O・・H2O・・H2O・・)であり,その引力によって多次元の水素結合ネットワークを形成している。水素結合によって引き寄せられた水分子同士は無限に成長して池や湖や海,雪や雨や雲などといった集合状態となり,もはや1個の水分子とは異なる構造や性質をもつようになる。ところが,この安定化したかに見える集合体も,相互作用自体が弱い引力だけに,例えば太陽熱や気圧や地殻などの変動(外部刺激)によりそれまでの集合体固有の構造や性質が大なり小なり影響を受けて変化を続け,自然界ではその影響をできるだけ小さく抑えるように,新たに安定な集合体を再構築するという絶え間のない変化を繰り返すのである(安定平衡の原理)。

 

 自然界で繰り返されるこの安定平衡の原理に基づき,逆に外部刺激をうまく用いると,特定の構造や性質をもつ分子や集合体を合目的に構築できることになる。そして,それらの構造や性質を相関するスペクトル変化と結び付けて視覚化することが可能になる。その目的達成のために,どのような分子構造を用いるか,どのような外部刺激を用いるか,どのような制御手法を用いるか,どのような観測手法を用いるか,そして得られる結果を未解明のどのような課題に適用するか等々,分子レベルから集合体に至るまで着実に積み上げられて来た「超分子化学」に関するこれらの基礎研究が2016年度のノーベル化学賞に繋がったのである。ピストンやエレベーターのような振動運動,酵素や触媒のような規則的・選択的機能など,外部刺激を用いてこれらの運動や機能を分子レベルで誘起発現させるとともに自在に制御することができるようになれば,文明生活はますます便利さと精緻さを増すことになるだろう。微弱な酸や光や熱に敏感に応答して特定の仕事をする分子センサーの開発は,正に最先端の研究対象である。また,分子レベルでの生体機能や化学反応の仕組みの解明は,生命誕生や難病奇病の起源解明にも繋がり,医療医薬分野の研究発展にも寄与するであろう。実に,多様で幅広い研究に波及する基礎化学であると言える。

 

 「超分子化学」に関連して,「フェロセン」と呼ばれる分子の軸回転運動に関する筆者の基礎研究の一つを紹介しよう。これに化学修飾して窒素(N)成分を2個導入すると,外部刺激である酸の添加により,その回転運動を制御することができる(図)2)。酸を加える前か高濃度の酸性領域では,筆者のフェロセン誘導体は大きく手を広げた配座で存在するが,ある希薄な酸性領域では折り畳まれた配座で存在するという,酸の特定濃度を感知する機能をもつ分子であることが判った。微量の酸が生体機能や化学反応に予想外の影響を及ぼすことがあるので,種々のスペクトルを通して,その環境内での精確な酸濃度を観測者に教えてくれる働きは極めて有用だと評価されるが,如何であろうか。

図

 

 ますます夢のある社会生活の創造のために,基礎研究の大切さが叫ばれる今こそ,「超分子化学」分野における未解明の課題を明らかにしたいと意欲に燃える研究者が,皆さん方の中から現れて来ることを期待して止まない。

 

  •  1) 「クラウンエーテル化学」の研究により,クラム(米)・レーン(仏)・ペダーセン(米)の3研究者がノーベル化学賞を受賞(1987年度)。
  •  2) 詳細な内容については,Tetrahedron Letters, 2013, 54, 66-71 を参照。


(理学部化学科 樋口弘行)