English中文簡体字한국어
トピックス

HOME>トピックス

【数学科】2014年11月

中心的単純多元環と時空間符号

数学者が純粋に理論的な興味から研究してきた対象が,時を経てまったく意外な応用を,しかも非常に現実的な応用を持つということがしばしばある.

例えば公開鍵暗号の構成に,初等数論が役立ったということは有名である(RSA暗号,Elgamal暗号).また,より高機能な暗号の構成に,有限体上の楕円曲線が用いられてもいる(楕円曲線暗号,IDベース暗号など).

今回は,20世紀に研究された,中心的単純多元環が無線LAN(802.11n, 802.11ac)やLTE, WiMAXなど携帯電話で使われる符号の構成に用いられている,というお話を紹介したい.

無線通信をするさいに,送信側,受信側どちらも複数のアンテナを持っているような状況を考える.最近の無線LAN親機では,アンテナが複数生えているような機器があるのを思い出してほしい.

この様な無線通信方式を,MIMOという.電波を伝える空間から見て,(送信側が送る電波という)複数の入力と(受信側へ伝える)複数の出力あるので,Multiple Input Multiple Output, MIMOと略してマイモと読む.

話を簡単にするために,送信側,受信側とも$2$本のアンテナを持っているとしよう.送信したいデータは,何らかの仕方で(例えば位相変調方式,Phase Shift Keyingによって)$2$個の複素数の組に変換されているとする.(通信で用いられる有限個の複素数は,通信方式の規約の中で定められていて,受信側も知っているものとする).送信側は時刻$t$に送信信号$x(t)= \begin{pmatrix} x_1(t)\\ x_2(t) \end{pmatrix}$を,送信アンテナ1から$x_1(t)$, 送信アンテ ナ2から$x_2(t)$のようにして送る.受信側はそれを,受信アンテ ナ1で$y_1(t)$, 受信アンテナ2で$y_2(t)$と受信したとして,受信信号 を$y(t)= \begin{pmatrix} y_1(t)\\ y_2(t) \end{pmatrix}$とする.これらは次の関係で結ばれているとしよう: \[ y(t) = H x(t) + n(t), \] ただし$H$は$t$に依らない2次の複素正方行列,$n(t)= \begin{pmatrix} n_1(t)\\ n_2(t) \end{pmatrix}$は雑音である.$H$は,電波がどのように減衰し,また混合するかを表す行列である(図参照).

 


MIMO通信の概念図


受信側は,$y(t)$からもとの信号$x(t)$を復元したい.問題は,どのように通信したら効率よく受信信号から送信信号を復元できるか,である.

S. M. Alamoutiは,1998年の論文 A Simple Transmit Diversity Technique for Wireless Communications, IEEE J. on Select Areas in Communications, Vol. 16(8)において,次の通信方法を提案した.

すなわち,時刻$t$に送信アンテナ1からは$x_1(t)$, 送信アンテナ2からは$x_2(t)$を送出する.次の時刻$t+1$には,送信アンテナ1からは$-\overline{x_2(t)}$, 送信アンテナ2からは$\overline{x_1(t)}$を送出する.ここで$\overline{x}$は複素数$x$の複素共役である.これを行列で書くと,つぎのように簡潔に記述できる.$X(t)$, $Y(t)$, $N(t)$を \[ X(t)= \begin{pmatrix} x_1(t) & -\overline{x_2(t)}\\ x_2(t) & \overline{x_1(t)} \end{pmatrix},\quad Y(t)= \begin{pmatrix} y_1(t) & y_{12}(t)\\ y_{21}(t) & y_2(t) \end{pmatrix},\quad N(t) = \begin{pmatrix} n_1(t) & n_{12}(t)\\ n_{21}(t) & n_2(t)\\ \end{pmatrix} \] と定義する.$X(t)$は1列目が時刻$t$の送信信号,$2$列目が時刻$t+1$の送信信号である.すると,全体はつぎのようになる: \[ Y(t) = H X(t) + N(t). \]

Alamoutiは,受信側が$H$を知ることができれば,$Y(t)$から$X(t)$を効率よく復元できることを示した.ポイントは$x_1(t), x_2(t)$から$X(t)$を構成するところである.符号化の際に時間(時刻$t$と$t+1$)と空間(アンテナ1とアンテナ2)に信号を振り分けることから,時空間符号(Space Time Code, STC)と呼ばれている.

$H$を知ることが重要だが,例えば通信に先立って,時刻$0$ではアンテナ1から$1$, アンテナ2から$0$を送出すると,$X(0)$は単位行列になるので,受信側は$H$を(ノイズまじりではあるが)知ることができる.

Alamoutiの符号は極めて簡潔であり,様々な良い特性を持っていることから,一般化のための努力がなされた.Sethuramanらは,2002年の論文``An Algebraic Description of Orthogonal Designs and The Uniqueness of The Alamouti Code''で,Alamoutiの符号は,Hamiltonの四元数体$\mathbb{H}$と密接に関係することを示した.特に上の複素2次行列$X(t)$は,$\mathbb{H}$の正則表現の複素数体上の行列表示であることを示した.2003年に,Belfioreらは代数体上の一般四元数環に基づくSTCを提案した(``Quaternionic lattices for space-time coding'', Proc. IEEE Information Theory Workshop, Paris (2003)). 一般四元数環は,より一般的な対象である,中心的単純多元環の特別な例である.

整数論では,代数体での素数の分解法則を研究することが一つの大きなテーマである.アーベル拡大という特別な状況では,素数の分解法則を記述する,類体論と言う理論がある.その非アーベル拡大への理論の拡張を目指して20世紀前半に詳しく調べられたのが,中心的単純多元環である.

Sethuraman, Belfioreら以来,代数体上の中心的単純多元環に基づくSTCの研究が広く行われている.近年では,STCを採用した無線LAN規格(IEEE 802.11n, 802.11ac)が広く使われているほか,携帯電話網でも,LTE, WiMAXなどの規格にSTCが不可欠な要素として使われている.

20世紀に整数論の研究者等が,素数の分解法則と関連して研究していた中心的単純多元環が,無線LANや携帯電話に役立つというのも,大変不思議な話ではあるまいか.

中心的単純多元環の基本事項と無線通信への応用については,G. Berhuy, F. Oggier, An Introduction to Central Simple Algebras and Their Applications to Wireless Communication (Mathematical Surveys and Monographs) , AMS, 2013が詳しい.

 

(数学科 木村 巌)